浅間山の噴火は大規模な爆発を繰り返す活火山として知られています。

 2万〜2.4万年位前には、大規模な山体崩落が発生し、3000m級の浅間山が崩壊し、南北に「岩せつなだれ」が流れ下りました。北に流れ下ったものは吾妻川沿いを流れ下りました。それらの堆積物が今も長野原町の林地区の高台や中之条町の段丘面などに残されています。さらに、驚くことに、現在の前橋台地には15mもの厚さで堆積しているといいいます(前橋泥流、中之条泥流、大桑泥流などと呼ばれています)。

 時代の新しい記録的な噴火では、天明3年(1783)、天仁元年(1108)、4世紀の中頃、縄文時代の中期などがあり、そのときの噴出物はそれぞれAs-A、As−B、AsーC、AsーDと略称で呼ばれています。これらの噴火に伴う火山灰や軽石は、群馬県内での発掘調査をおこなうときの鍵層として利用されています。

 天明3年の噴火では、鎌原村を襲った「土石なだれ」や火山灰・軽石の降下に加えて吾妻川、利根川を流れ下った「天明泥流」が人々に大きな被害を与えました。この天明泥流の下から見つかる遺跡の調査例も増えつつあります。林中棚U遺跡もこの天明泥流に被災していたのです。

まいぶん質問箱 浅間山は江戸時代にも噴火したの?も参考にしてください。