| (ほんごうはにわかまあと) | ||
| 藤岡市本郷 ・ 古墳時代 | ||
![]() |
![]() |
|
| この窯跡は、明治39(1906)年に柴田常恵さんという考古学者が紹介したことから、広く知られるようになりました。その後、群馬大学の尾崎喜左雄さんによって昭和18(1943)年と19(1944)年に本格的に発掘調査されました。調査結果や地形などから、周辺に20数基の窯跡が存在すると推定されています。そしてこれらの窯が作られた時期はだいたい6世紀頃と考えられています。 発掘調査された窯跡は昭和19年に国指定の史跡となりました。昭和21年にはそのうちの一つに覆い屋がかけられ、現在でも見学することができます。 群馬県内の埴輪窯跡としては、他に太田市北金井の駒形神社埴輪窯跡が有名です。 |
||
|
|
||
| ■ 見学案内 | ||
| ▽ 車 藤岡インターチェンジから約10分。 国道254号線の八高線陸橋の下を南へ約700m。この陸橋付近には小林古墳群があり、現在でも数基が残っています。また本窯跡より約200m南方には野見宿禰を祀る土師神社があり、その境内には「日本三辻の一」と称される相撲壇が設けられています。 問い合わせ先は、藤岡市教育委員会文化財保護課(0274-22-1211)です。 |
||
|
|
||
| ■ ここがポイント | ||
| 窯の構造は、神流川が作る河岸段丘の自然傾斜を利用した「登窯」といわれるもので、斜面の下で火を焚き、その熱や煙を上方に送り出す仕組みになっています。その規模は全長約10m、幅1.2(煙出し部)〜1.8m(裾部)であり、かなり大型です。ちょうど中間あたりで傾斜が変わり、傾斜が緩やかな下方部は風の取り入れ口と思われます。上方の燃焼部には天井をつけてトンネル状になっていたことが発掘調査の結果からわかっていますが、現在では崩れ落ちて残っていません。 この場所に埴輪窯が作られた理由は、上記のような地形的な利点とともに、地下の粘土層の存在があげられます。藤岡市街地のある藤岡台地一帯には良好な粘土層があって、この粘土は藤岡の特産品である「瓦」の生産に今も活用されています。藤岡瓦のルーツって意外と古いものだったんですね。 本窯跡で製作された埴輪は、円筒埴輪だけでなく、人物、馬、家、武具など各種の形象埴輪もたくさんあり、それが20数基の窯で大量生産されました。それらは小林古墳群を中心に、広い範囲で供給されたことがわかっています。埴輪の製作には非常に高度な技術が必要であり、朝鮮半島から渡ってきた専門的な工人集団が関係しました。土師神社は渡来人が建てたともいわれ、それをうかがわせる非常に興味深い存在であるといえます。 |
||
|
|
||
| ■ もっと知りたい! | ||
| 本窯跡を発掘調査した尾崎喜左雄さんが書いた『古墳のはなし』という本には、本窯跡のことだけでなく、群馬県の古墳や古墳時代のことがわかりやすく書かれています。最新の研究成果とは少し異なる部分もありますが、読んでみるとよいでしょう。 また、本窯跡から出土した遺物は、県立歴史博物館や東京の国立博物館等に保管されています。 |
||
| 〈小林 徹〉 | ||
|
|
||