(いわじゅくいせき)
−新田郡笠懸町阿左美・旧石器時代−
 
岩宿遺跡の発掘調査風景
(明治大学考古学博物館提供) 笠懸野岩宿文化資料館

 日本にも「旧石器時代(きゅうせっきじだい)に人が住んでいた」ということがはじめてわかった遺跡です。
 発掘調査では今から3万年ほど前の、石を打ち欠いて作った斧や、鋭い刃を持つ石器が見つかっています。昭和21年に遺跡を発見した相沢忠洋さんの名前とともに、日本で最も有名な遺跡のひとつでしょう。遺跡の近くには情報満載の資料館や地層の見学施設があり、緑豊かな自然も残されています。
 ぜひ、一度は見学したい遺跡です。


■ 見学案内
 遺跡をとりまく稲荷山(いなりやま)、琴平山(ことひらやま)という二つの丘全体が国の史跡(しせき)として大切に保存されています。
 最初に発掘調査された場所には、石器が発見された地層(ちそう)のようすが見られるドーム形の史跡岩宿遺跡遺構保護観察施設があります。

■ ここがポイント
 ヨーロッパでは、日本より早くから旧石器時代の研究が進んでいました。
しかし日本では、岩宿遺跡が見つかるまで「旧石器時代の日本に、人は住んでいなかった」と考えられていました。
 どうしてでしょう?
 それは、関東ローム層と呼ばれている赤土のためでした。

 相沢さんは、その赤土の中から石器を見つけたのです。
 赤土は、旧石器時代に火山が噴火して、ふきだされた火山灰(かざんばい)などが積もってできた土です。
 赤土が、厚く積もっているようすを見ると、旧石器時代は、日本中のたくさんの火山が激しい噴火を続けていた時代だったことがわかります。
 そんな時代の日本に、人が住むことはできなかっただろう、というのが、そのころの考古学者の常識でした。
 しかし岩宿遺跡では、赤土の中から、人が作った道具が見つかったのです。
 この発見は、それまでの考えを、すっかりひっくり返してしまいました。
 だから、旧石器が見つかった、ということだけでもたいへんな出来事だったのです。
 それ以来、日本の各地で旧石器時代の遺跡が見つかるようになりました。
 そして、現在の研究では、人々の暮らしのありさままでもが、だんだん詳しくわかるようになってきました。
 しかし、どんなに研究が進んでも、岩宿遺跡と相沢さんの名前が忘れさられることはないでしょう。

■ もっと知りたい!
 すぐ近くの笠懸野岩宿文化資料館には、笠懸町で見つかった石器類が展示されているほか、マンモスの化石や世界の旧石器時代の家の復元を見ることもでます。企画展示会や、研究会も盛んに開かれています。

 岩宿遺跡の最初の発掘調査でみつかった石器は、国の重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定されていて、東京にある明治大学考古学博物館に納められています。

 勢多郡新里村には、相沢忠洋記念館があります。相沢氏が愛用していた遺品や、研究した遺跡の石器・土器などの資料が展示されています。

<洞口正史>