長野県の軽井沢では、8月3日に噴火が激しくなり、人々が避難した記録が残っています。また、参勤交代が中山道をさけて別のコースを通ったという記録なども残されています。

 天明の浅間災害にあった地区では、当時の民家や水田、畑跡などが見つかっています。有名な鎌原村の発掘調査では、当時の村の様子を伝える資料や、土石なだれから逃げ遅れた人々の遺体などもみつかっています。江戸時代、山あいの農村では大変珍しい、ガラス製の鏡がみつかりました。当時、ガラス製の鏡は、大名などごく一部の人しか手に入れることができない貴重品で、
泥流に埋まった畑あと
江戸や京都・大坂でも手に入りにくいものだったそうです。長野原町の長野原久々戸(くぐど)遺跡(写真)ではこのときの泥流に埋まった畑あとがみつかり、2cmくらいつもった軽石を作物の根元に土寄せした様子がみつかっています。人々は噴火のさなか、軽石が降ったあとにも耕作をやめることなく、農作業を進めていました。しかしながら、8月5日の泥流によって埋めつくされたのでした。