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群馬県では現在、大きな天守閣のあるお城を見ることはできません。しかし武士たちのたたかいは何度もあり、重要な役割をはたした城もあるのです。群馬県の城についてさかのぼると、鎌倉時代に源頼朝が新田義重に使いを送ったのが「寺尾城」であったと書かれているのが最初となっています。
戦国時代の群馬県は武田氏や上杉氏のように、地方の大きな勢力のある武士に統一されることはありませんでした。そのため、武田、上杉、北条などのあらそいのうずにまきこまれることになってしまうのです。高崎城のもとになる和田城が和田氏によってつくられました。和田氏は、上杉、武田のたたかいのとき、武田氏につきます。となりの倉賀野氏は上杉氏についてあらそうのです。もちろん、県内の各地には小さな勢力をもっていた、由良氏(ゆらし)、沼田氏、真田氏、長野氏、長尾氏などがいました。彼らは大きな勢力のあらそいのなか、家を守るため、まわりの様子をさぐりながら様々な努力をするのです。
さて、群馬県にも天守閣のある城はあったのです。前橋城、高崎城、館林城沼田城などです。前橋城は利根川の流れがかわったために、流れてしまいました。高崎城はとりこわされてしまいました。館林城は火事で焼失してしまいました。それぞれの理由で現在は残っていないのです。しかし、今も城に対する人々の気持ちは強く、沼田城は二重櫓(やぐら)が復元されるのだそうです。
このように群馬県はたくさんの争いや戦いがあり、それにそなえて多くの城がつくられたのです。現在、大きな城は残ってはいないものの、地形をうまく利用してつくられた城や、重要な役割をはたしていた城などたくさんの城があるのです。そしてそれぞれの地域の人たちは、昔の城をなつかしく思い、大切にしているのです。石垣、堀などが残る場所はたくさんあります。城の跡を訪れ、どんな目的でどのように城をつくっていったのか考えてみることも地域の歴史を知るひとつの方法です。
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