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国分寺が作られた頃、その建物の軒先(のきさき)は上のような文様をもった瓦がのせられていました。瓦の生産地は群馬県の各地で見つかっていますが、左の瓦は笠懸(かさがけ)町で、右の瓦は藤岡市・吉井町付近で作られたものです。このように国分寺から20〜30キロも離れたところから、瓦が運ばれていました。国分寺の建物はどれも大きいので、何万枚という瓦が必要でした。それらがみな、人や牛馬の力によって運ばれてきたのです。一体どれだけの人々が動員されたのでしょうか。
もちろん寺を作るには、瓦の他、多くの木材や銅・鉄のような金属なども必要です。さらに、建物を建て、瓦を作り、仏像を作るためには、それだけの技術をもった人達も必要です。それらはいずれも当時の先端技術、ハイテクでした。
このように国分寺を作るためには、多くの人数と物資、先端技術が用いられたのです。国分寺の建設は、国の総力を挙げて行われた一大プロジェクトだったのです。 |