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縄文土器のシンボルともいえる「縄文」は、東日本の弥生土器の中に脈々と生き続けました。
群馬県の一部では、縄文時代が終わりを告げて、600年ほどたった頃にも、かたくなに「縄文」を守り続ける土器が使われていました。このような土器は、赤城山のふもとや群馬県西部の鏑川(かぶらがわ)のあたりで使われています。 これと同じような土器は、おとなりの埼玉県でも、見つかっています。これこそ、「縄文」をつけた最後の土器だったのです。
縄文時代から弥生時代にかけて、日常生活やそこで使う道具は大きく変わったのに、土器の文様に縄文の伝統を残したのはなぜだったのでしょう。
自分たちの先祖が縄文人であったことを、代々伝えるためだったのでしょうか。
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