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−原始、古代の音と楽器 石守研究員− |
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【 プロローグ 】
もう二十なん年か前になりますが、学校の博物館でラジオ番組のために石笛などが演奏されると聞いた私は、展示室のかたすみで耳をそばだてていました。小学校ではまったくソプラノリコーダーが吹けなかった私でしたが、中学校でアルトリコーダーに出会って吹けるようになり、その中学校で開かれたプロの演奏をきいてから、すっかりリコーダーファンになっていました。そんな私にとって、音楽と結びつく出土遺物に興味があり、どんな音が聴けるのか楽しみだったのです。すんだ笛の音(ね)をききながら、すっかりうれしくなって、出土楽器を研究テーマにしようと決めたのでした。
ところが当時、日本の出土楽器の研究はあまり進んでいませんでした。いくつかの楽器は研究されていたものの、楽器全体を対象に研究していた人は誰もいませんでした。しかも出土を確認できていた“楽器”の数も種類も少ないものでした。それから手さぐり状態の調査が始まりました。
しばらく調査を進めていると、楽器なのか楽器でないのかよくわからない遺物のあることに気づきました。それをまた細かく考えていると、今度はどういうものが“楽器”なのかも分からなくなってきてしまったのです。
【 楽器ってなんだろう? 】 そう考えると、はじめから楽器を使って音を出したのではありませんから、最初のころの楽器はほかの道具と区別できそうもありません。原始時代の人がリズムを取るため打ち合わせた石が出てきても、私には石器の材料や石器作りの道具にしか見えないでしょう。展示してある陶鼓(とうこ)もにたような感じで、有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)という縄文土器の使い方の一つとして太鼓(たいこ)が上げられているにすぎないのです。
また、同じ音を出すためにつくられた道具でも、ギターのように「音」を出すことそのものが目的の道具なのか、クラクションのように別の目的のために「音」を出す必要があるものなのかでちがってきます。ギターは楽器になりますし、クラクションは楽器にはなりません。 このように出土遺物の中で楽器かそうではないかを判断するのは難しいのです。ですから今のところ出土遺物としての楽器を調べるときは、音を出すためにつくられたと考えられる道具すべてを対象にしています。
【 音楽のはじまり 】
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| 陶 鼓 |
文字からすると、楽器は“音楽”の“道具”ということになります。それでは音楽とはなんでしょうか?何冊か本を見てみると、「メロディー」や「ハーモニー」、「リズム」や「芸術性」という言葉が並んでいました。けれど、生まれたばかりの音楽を説明するのには向いていないように思いました。
もちろん、音は生まれるとすぐに消えてしまうという性質を持っていますから、一番最初の音楽がどんなものだったかは分かりません。でもいろいろな本を読んでいるうちに、たとえば旧石器時代の人が石器を作ろうと石を打ち合わせていたとき、石器づくりより音を出す方がおもしろくなってリズムよく石をたたき始めたとき、音楽が始まったんじゃないかなと思ったのです。つまり音を出したりリズムをきざもうと思って、声を出したり何かを使って音を出したときに音楽は生まれたんじゃないかなって考えたんです。
【 出土した楽器たち 】
少しむずかしい理くつの話が続きました。ここらへんで実際の出土楽器についてお話しましょう。研究を始めたころは確認できる出土楽器はごく少ないものでした。今ではその数もずいぶん増えてきましたが、それでも全体としてめずらしい遺物であることに違いありません。
最も古い楽器は旧石器時代、3〜5万年前のヨーロッパで作られた骨笛でした。そして日本で最も古い楽器は、今から4千数百年前の縄文時代中期の土鈴(どれい)でした。発掘情報館の展示品中のさわることのできる土鈴のうち、鈴口(すずくち)という大きな口がないか、あっても小さな穴としてあけられているものが、縄文時代の土鈴をモデルにしてつくったものです。
それではこれから群馬県の出土楽器を中心にはなしをつづけましょう。
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(1) 縄文時代の土笛(つちぶえ)
群馬県では縄文時代の土鈴は出土していませんが土笛が4点ほど出土しています。 上の左側の写真は、太田市上遺跡(かみいせき)出土の土笛です。これに近い形のものが山梨県の釈迦堂遺跡(しゃかどういせき)から出土していて、2万ヘルツという人間には聞こえない高い音が出たそうですので上遺跡の土笛は犬笛だろうと考えられています。
右側のものは富岡市南蛇井増光寺遺跡(なんじゃいぞうこうじいせき)出土の土笛です。小さめの土笛ですが、長野県茅野市(ちのし)の井戸尻遺跡(いどじりいせき)出土の土笛に近い形で、山梨県から長野県南部に見られる土鈴といっしょに作られていたものの一つだろうと思います。吹くとやや低いピーッという音を出すことができます。
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| 上遺跡出土土笛 |
南蛇井増光寺遺跡出土土笛 |
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(2) 銅鐸(どうたく)
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| 成塚石橋遺跡出土鐸形土製品 |
弥生時代に入ると銅鐸や陶けんという卵形の土笛、琴(こと)などの楽器が出てきます。残念なことに銅鐸は静岡県より西の地域、陶けんは中国地方から近畿地方の日本海ぞいでしか出土しないものですし、琴の出土例もありません。わずかに群馬県では手のひらに乗るような小型の小銅鐸が新田町の中溝・深町遺跡(なかみぞ・ふかまちいせき)から、それを似せて作った土製品が太田市の成塚石橋遺跡(なりづかいしばしいせき)から出土しているに過ぎません。
また伊勢崎市の西太田遺跡(にしおおたいせき)からは球形で角のついたような形の土笛も出土していますが、形から縄文時代の土笛である可能性があります。
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(3) 古墳時代の楽器
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| 三ツ寺I遺跡出土のスリザサラ |
群馬県の古墳時代の楽器は埴輪の中に見ることができます。埴輪によって琴、太鼓(たいこ)、四つ竹というカスタネットのような楽器があり、演奏されていたことが分かっています。しかしこれらの楽器そのものは見つかっていませんでした。 ところが昨年(2000年8月)になって三ツ寺I遺跡出土の木製品の中に琴の破片のあることが分かりました。龍角(りゅうかく)という弦(げん)を掛けるところの破片です。このころの琴は板一枚のもの、幅のせまい棒(ぼう)のようなもの。そして板の下に音を響かせるための箱のついたものの三種類がありましたが、この破片は箱のついた琴の破片です。
上の写真は同じ三ツ寺I遺跡出土の木製品で、スリザサラです。棒の刻みのところをササラ子という先がばらばらになった道具でこすって音を出します。
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(4) 古墳時代の鈴(すず)
群馬県でも古墳時代より後の時代、鈴が出土しています。一つは土鈴、もう一つは馬具や鏡に付けられた金属製の鈴です。鈴をつけた馬具は馬が動くたびにシャンシャンと音を立てます。鈴鏡(れいきょう)は巫女(みこ)が腰に下げていたようで、舞うたびにシャン、シャンと音をたてたことでしょう。しかし、これらは音を出すためだけに作られたものではないので音具としてあつかっています。 土鈴は後田遺跡から出土した土鈴のように縄文時代の土鈴に似たものもありますが、金属製の鈴をまねして作ったものが多いようです。そしてこの時代の鈴の鈴口は大きく切られています。そして素焼きでうす茶色の土師器(はじき)の土鈴はくぐもった音がして、窯(かま)で焼かれた灰色の須恵器の土鈴は金属質の音がします。
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| 多比良追部野遺跡出土の土鈴 |
後田遺跡等出土の土鈴 |
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【 大昔の日本の楽器 】
こうした出土遺物を集め時代順に並べてみると、古い時代の楽器のようすがすこしずつわかってきました。それは、別の道具や自然の石などから音を出す道具(「音具」)へ、そして楽器へと発達し、一部は楽器として使われなくなるという移り変わりです。そのことをまとめたものを、発掘情報館にパネルとして展示してあります。
ただし、このパネルも、その後の調査で音具にしていたスリザサラは楽器になることがわかりましたし、見る銅鐸も一部は音を鳴らしていたらしいことが分かってきましたので、少し修正が必要になってきています。数少ない出土楽器から得られる情報はけっして多くはありませんが、今後も発見や研究の進むことでこのパネルも書きかえられていくことになるでしょう。
興味がわきましたら、発掘情報館へおでかけ下さい。
【 古代の音を求めて 】
こうして日本の大昔の楽器のようすは少しづつ見えてくるようになりました。しかし、研究の最後の目標は大昔の音楽を再現することです。もちろん音そのものの記録がない以上、完全なかたちでの復元は不可能ですが、それに近づくことはできるようになるかも知れません。今の研究レベルからははるか遠い目標ですけれども・・・
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