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遺跡を発掘していても、普通は建物の「あと」しか見つかりません。
柱が立っていた穴だけが、私たちの目に見える建物の姿でした。
だから、今までは、縄文時代だから、この程度の技術しかなかっただろうと、比較的簡単な作り方で建てられたものを想像していたのです。
ところが、最近、ずいぶん大きな柱の穴や、複雑な構造の建物のあとが見つかってきたのです。
私たちの調査した遺跡からも、大きな柱を立てた穴が見つかりました。
なかでも、関さんが驚いたのは、富山県の遺跡で、柱に使われた木材が見つかったことでした。
その木材には、関さんが見慣れた、木を組み合わせるときの細工がしっかりと刻まれていたのです。
富山県まで、その遺跡と、その柱を見せてもらいにいきました。
柱の木材は、高床建物に使われたと言うことでした。
柱を組み合わせる細工の中には、奈良の法隆寺の建物で使われているのと同じ方法まであったのです。
技術科の授業で、生徒に教えていた木工技術と同じ方法を縄文時代の人々が考え出していたのです。
縄文時代の大工さんの腕前に、ほんとうに感心しました。
私たちが発掘調査した遺跡で見つかった、大きな柱の穴にも、もしかしたら、このような技術で建てられた高床建物が建てられていたのかもしれません。
そこで、発掘情報館の展示では、みなさんが、縄文時代の木工技術を体験できるように、組み立て式の高床建物キットを作ってみました。
ぜひ見に来て下さい。
情報館の展示室には、関さんが作った模型や、遺跡で見つかる縄文時代の建物の写真が展示されています。
関さんが語る、縄文時代の大工さんのものがたりを、あなたも聞きに来ませんか?
関さんのくわしいお話はこちら
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