|
鋭く尖(とが)った刃を持つ石器−これは、約18,000年前の旧石器時代に、槍(やり)の穂先(ほさき)として使われていたものです。黒く光る、黒曜石(こくようせき)という石で作られています。
旧石器時代や縄文時代は、狩猟や採集によって日々の食糧を得ていました。そのため、狩猟道具の善し悪しが、人々の生活を大きく左右したことでしょう。そのような道具の材料として特に珍重されたのが黒曜石です。
黒曜石は天然のガラスで、割ると薄く鋭い割れ口ができます。この鋭さが、切ったり突き刺したりという用途に最適なのです。また、均質で不純物をあまり含まないため、意図した通りの形に加工することができます。このような黒曜石の性質から、旧石器時代から縄文時代を通じて、槍の穂先や弓矢の矢尻、獲物を解体するナイフなどの道具の材料として盛んに使われました。
しかし、この黒曜石は、非常に限られた地域でしか採取できない石です。近隣では、長野県の和田峠周辺や、栃木県の高原山にその原産地が知られています。残念ながら、群馬県内には、石器の材料として利用できるほど良質な黒曜石の産地はありません。にもかかわらず、県内の遺跡からはたくさんの黒曜石製の石器が見つかっています。これはどういうことでしょうか?
県内の遺跡から見つかった黒曜石は、理化学的な分析によって、長野県や栃木県の原産地で産出したものとわかりました。原産地まで直接取りに行ったか、あるいは、物々交換などによっていくつかの集団を介するなどして運ばれてきたのでしょう。当時の人々は、近くで採取できないからといって黒曜石をあきらめることはできなかったのです。
黒曜石がどこからもたらされたのか−このことは、当時の人々の生活について、重要な手がかりを与えてくれます。旧石器・縄文時代の人々は、狩の獲物や食用となる植物を求めて、移動生活を行っていました。移動していく途中で、石器の材料となる石などの生活に必要な物資を調達しました。黒曜石を直接取りに行っていたとしたら、原産地周辺までを移動生活を行う範囲としていたと考えられます。また、他の集団を介して間接的に入手していたとしたら、原産地までのルート上にある地域の集団との交流の様子が推測できます。このように、物の移動の背後には、当時の社会の様相が隠されているのです。
黒曜石の他にも、原産地が限られ、人々の交流の様子を知る手がかりとなる石として、黒色安山岩やヒスイなどがあります。発掘情報館では、これらの石についても展示しています。 |