埋文事業団の研究員、中沢悟さんは、古代の糸つむぎを研究しています。
発掘情報館の展示室で、紡錘車(ぼうすいしゃ)の展示を担当しました。
紡錘車というのは、糸つむぎに使う、円盤形のはずみ車だそうです。

粘土を焼いた焼き物で作ったり、やわらかい石を磨いたりして、真ん中に穴の空いた、円盤の形を作るわけです。
この穴に軸を通して、コマのようにまわして、糸によりをかけます。
平安時代には、金属で円盤と軸を作ったものも現れます。
紡錘車を使うのには、ちょっとしたコツがいるので、文字や写真だけでは、説明するのが難しい。
情報館の展示では、実際に紡錘車を使ってみることもできるので、ぜひ見に来て、糸つむぎを体験してください。
中沢さんは、吉井町にある矢田遺跡の発掘調査を担当して、たくさんの紡錘車が見つかるのにびっくりしたそうです。
やわらかい石を磨いて作った紡錘車の中には、絵や文字が書いてあるものもあって古代の人たちが、糸つむぎの仕事を大切に考えていることがよくわかったそうです。
矢田遺跡から、ずいぶんたくさんの紡錘車が見つかったことをきっかけに、群馬で今までに見つかっている紡錘車を全部調べてみることにしたんです。
そうすると、弥生時代から紡錘車が使われていることや、時代によって、形や、使われている材料が違っていることがわかってきました。
群馬県では、いろいろな遺跡で紡錘車が見つかっていますが
遺跡がたくさんある前橋や高崎のほかでは、吉井町から甘楽町にかけて、特にたくさん見つかっていることがわかりました。
多野・甘楽・富岡の地域は、明治時代に富岡の官営製糸所が作られたことで有名です。
ずいぶん時代が違いますから、直接の関係はないのでしょうが
やっぱり群馬は、古代から糸の国だったのかなあ
そんな感想を持ちましたね。
情報館には、中沢さんが調べた、紡錘車や糸つむぎの道具がたくさん展示されています。
中沢さんが語る、古代の糸のものがたりを、あなたも聞きに来ませんか?
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| 石製紡錘車(多胡蛇黒遺跡出土) | 鉄製紡錘車 (鳥羽遺跡出土) |

紡錘車は土製と石製と鉄製があります。土製は弥生時代から古墳時代前期に多く、石製は古墳時代中期以降平安時代まで使われています。この石製の紡錘車は良質な蛇紋岩(じゃもんがん)や滑石片岩(かっせきへんがん)を加工してつくられます。これらの石は鏑川流域(かぶらがわりゅういき)を中心として産出するために、富岡市・吉井町・甘楽町を中心に生産され県内各地に供給されていたようです。そのことはこの流域の遺跡を発掘すると大量の紡錘車の出土と紡錘車をつくった工房の跡がみつかることより明らかになりました。鉄製は古墳時代からわずかに使われますが、平安時代に多く使われるようになります。ただし鉄製が増加しても平安時代でも石製が使われなくなることはなかったようです。
石製紡錘車の中には、文字や絵また放射状の刻みを持つものがあります。書かれている文字は人名と地名が多く、「福」や「美」と行ったような吉祥(きっしょう)文字は少ないようです。絵には家が描かれたものがあります。きれいに磨かれた紡錘車に、ノミを用いた荒い簡単なものと、鋭い刃物で複雑な文様を描いた物があります。いずれも製作され供給された後に刻まれていることより、特定の目的のために刻まれたものも多いが、所有者を識別するために刻まれた物も多く存在していると思われます。
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| 絵や文字の刻まれた紡錘車 |

県内から出土した紡錘車は、材質や形の変化から大きく3段階に分けられます。
1段階 材質が土製で断面形が長方形(弥生時代?古墳時代前期)
2段階 材質が石製で断面形が台形(古墳時代中期?奈良時代)
3段階 材質が石製で断面形が台形+鉄製の紡錘車(平安時代)
さらに約100年を単位として変化を表現したのが次の表です。
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| 群馬県内における紡錘車の変貌 |