埋文事業団の研究員、関俊明さんは、技術科の先生です。
木工工作はお手の物です。
発掘情報館の展示室で、縄文時代の建物について、展示を担当しました。
得意の工作で、縄文時代の木工技術を再現した模型を作って展示しています。
最近わかってきたことだそうですが、縄文時代の木工技術は技術科の先生から見ても、とても優れたものだそうです。

遺跡を発掘していても、普通は建物の「あと」しか見つかりません。
柱が立っていた穴だけが、私たちの目に見える建物の姿でした。
だから、今までは、縄文時代だから、この程度の技術しかなかっただろうと、比較的簡単な作り方で建てられたものを想像していたのです。
ところが、最近、ずいぶん大きな柱の穴や、複雑な構造の建物のあとが見つかってきたのです。
私たちの調査した遺跡からも、大きな柱を立てた穴が見つかりました。
なかでも、関さんが驚いたのは、富山県の遺跡で、柱に使われた木材が見つかったことでした。
その木材には、関さんが見慣れた、木を組み合わせるときの細工がしっかりと刻まれていたのです。
富山県まで、その遺跡と、その柱を見せてもらいにいきました。
柱の木材は、高床建物に使われたと言うことでした。
柱を組み合わせる細工の中には、奈良の法隆寺の建物で使われているのと同じ方法まであったのです。
技術科の授業で、生徒に教えていた木工技術と同じ方法を縄文時代の人々が考え出していたのです。
縄文時代の大工さんの腕前に、ほんとうに感心しました。
私たちが発掘調査した遺跡で見つかった、大きな柱の穴にも、もしかしたら、このような技術で建てられた高床建物が建てられていたのかもしれません。
そこで、発掘情報館の展示では、みなさんが、縄文時代の木工技術を体験できるように、組み立て式の高床建物キットを作ってみました。 ぜひ見に来て下さい。
情報館の展示室には、関さんが作った模型や、遺跡で見つかる縄文時代の建物の写真が展示されています。
関さんが語る、縄文時代の大工さんのものがたりを、あなたも聞きに来ませんか?

【25,000年遡った木材加工技術】
=縄文高床建物=
発掘調査で掘立柱(ほったてばしら)の構造物があったことがわかるのは、柱穴(はしらあな)がみつかったときです。それが規則正しくならぶことで構造物があったと判断するわけです。柱穴が一つ見つかり、対応するものが見つかりだしてくると、発掘調査にたずさわる者は誰でもわくわくしてきます。それが、深さ2メートルもある大物(?)の柱穴だったりしたらなおさらです。
そんなこんな・・・。
富山県の桜町遺跡では、縄文時代の建築部材とそれに対応する柱穴があわせて出土しました。しかもその建築部材を検討していくと高床建物(たかゆかたてもの)を復元できるだけの加工法の種類がでそろったというのです。最古の木造建築で知られている法隆寺の建築に用いられていた多くの木材加工技術と同じ手法が、縄文時代の高床建物にも使われていたというのですから、これは驚きです。そして、それは、「最古の木造建築」と歴史の学習で知らされていた法隆寺の例よりも2500年も遡るのです。
富山県小矢部市に復元されている高床建物の模型を作製しました。発掘情報館に展示しています。現代建築技術の原点はすでに縄文時代にあったというのです。現代の豊かな生活を考えるときに学校教育の中でいわれる〈技術の役割とものづくり〉を学習する好題材になると考えました。〈環境保全・省資源と技術との関係〉という新しい課題の解決も縄文人の知恵に授かれたらいいですね。
また、貸出し用の組立式教材模型(10分の1)もあります(製作は、思ったよりも苦労しました・・・)。